「シン・ゴジラ」のプログラムを眺めていたら、犬童一心、原一男、緒方明の3人の映画監督が俳優としてして出演していることに気づいた。役立たずの科学者役である(道理で素人っぽい演技だったはずだ)。
原監督の「ゆきゆきて神軍」は縁がなくて見ていないが、犬童監督の「ジョゼと虎と魚たち」、緒方監督の「いつか読書する日」は、どちらも随分前にDVDで見た。両作品とも、いつまでも心に留めておきたい最良の映画だと思っている。
ここでは、「いつか読書する日」を見た時の感想を届けよう。
いつか読書する日
ヒロインは、昼はスーパーのレジ係。朝は牛乳配達をしている。舞台は長崎。薄暗い夜明け。山肌に張り付くような家々。階段状の坂道の先々に配達先がある。もう、50歳に近いヒロインが、この長崎の坂道を延々と牛乳配達をする。一つ駆け上っては、また下って別の坂道を登る。牛乳瓶のぶつかる澄んだ音。ある家では、玄関先で椅子に座った老人が待っている。ヒロインが、蓋をとって、牛乳を老人に渡す。老人は、それが当然のようにおもむろに受け取って、実にうまそうに飲み干す。
配達先の一軒に、ヒロインが思い続ける男が所帯を持っている家がある。男は、役所勤め。長年寝たきりの美しい妻がいる。ヒロインが、男の家に牛乳瓶を入れるときの一瞬の戸惑い。男もまた、この牛乳配達を密かな楽しみにしている。牛乳瓶の音。遠ざかる足音。男は牛乳を飲まない。死を予感する妻は、誰もが気付かない想いを敏感に察して、まだ見たこともない牛乳配達の女性に夫を託そうとする。
中年の女が、とにかくよく走る。エネルギッシュなのだ。年齢を超えたようなそのエネルギーが、夜、読書にそそがれる。壁一面の本棚。本にうづもれているような部屋。これまで、数十年にわたって、彼女のエネルギーは夜の読書に注がれてきた。ただ、読むことに注がれる奇妙な情熱。何も記さず、何も残さない。心の底だけに何かが刻まれていく。そこにこの映画のリアリティがある。
実は、サイドストーリーもなかなか複雑で、介護や認知症、ネグレクト等を織り交ぜながら、秘められてきた恋の行方が繊細に紡がれていく。何十年も逡巡し抑制されてきた女の気持ちが、爆発するかのように激しく燃え盛り、一瞬の悲劇によって、再びかつての「読書する日」に戻る。
田中裕子は昭和30年生まれだから、この映画の撮影時は47,8歳ということになる。女優としての美しさはあまり感じない。どこにでもいる中年女。ところが、映画の場面、場面で際立った美しさを感じさせる。美しく見えないのが演技で、美しく見えるときが本来の姿なのか。優れた女優が持つ、届きそうで届かない不思議なラビリンス。この映画の田中裕子は底知れない魅力に満ちている。
共演の渡辺美佐子や上田耕一の演技もすばらしいし、仁科亜季子の諦観に満ちた澄明な美しさなど、語るべきことはたくさんあるのだが、映画の記憶をたどると、まず二つの映像が目に浮かんでくる。 本につぶされたようなヒロインの部屋と、ヒロインが牛乳配達をする坂道だ。監督の眼差しの深さが生きているのだろう。。
「大人の恋の映画」などという枠組みでは説明不足に感じる、小品ながら心を静かに揺さぶられる映画だ。
この映画での田中裕子の演技は傑出している。今も、彼女は最も見事な、最も演技力のある女優なのではないか思う。
緒方明監督の映画は、その後「のんちゃんのり弁」「死刑台のエレベーター」は見ている。どちらも、なかなかの佳作だが、「独立少年合唱団」はDVDも販売されていないようで未見。
「ジョゼと虎と魚たち」にも機会があれば触れたい、と思う。