文庫の帯に「あの実力があって慕われていないとなると、よっぽど人望がないのだろう」(若林正恭)とある。ずいぶん刺激的な惹句に、ついつい手にとった。お笑いは嫌いではないが、芸人やタレントの本を読みことはほとんどない。だが、手に取ると朝日文庫だということになおさらびっくりして、中身を検討せずに購入してしまった。
著者は、お笑いコンビ「南海キャンディーズ」のツッコミ役。おかっぱ頭に赤い縁のメガネがトレードマーク。今はマルチに活躍しているお笑いタレントで、よくテレビにも出ている。相方のしずちゃんは女優として活躍したり、ボクシングに本格的に取り組んだり、とこちらもある意味お笑いの枠を超えての活躍をしている。
本書は2006年に出版された「天才になりたい」に大幅に加筆修正したものだそうで、結構最近の状況まで述べられている。
気楽に楽しく読めるだろうと思って読み始めたのだが、すっかり当てが外れた。ほぼ全編、ヒリヒリした筆致で、時に「熱く」、時に「暑苦しく」味の濃い逸話が語られ、述懐が続く。お笑い芸人を目指した動機、学生時代、養成所時代、コンビの結成と解散の繰り返し、南海キャンディーズの結成、M1グランプリでの思わぬ成功、相方「しづちゃん」との不仲、そして、現在の南海キャンディーズ。不安、挫折、自負、悔恨、嫉妬、打算、野心、そして、成功に訪れる一瞬の恍惚。肥大化する自意識と、先の見えぬ不安定な環境。どこか、綱渡りをしているような日々。
芸人の世界はなんとも厳しい。もともと、漫才は消耗の激しい演芸だ。落語なら古典落語の世界で独立して生きていくこともできる。「芸」を磨けばいいのだ。漫才も以前はそうだった。だが、それでは今は生き抜けない。時代の雰囲気やムードを鋭敏に捉えて、絶えずリニューアルしなければならない。この本にもよく出てくるが、ネタ作りは過酷なループを繰り返すことになる。映像やネットの時代だから、ネタを使い回しすることにも限度がある。ネタ作りで目一杯になり、あるいは限界になり、芸人でありながら芸人としての「芸」とは無縁の方向に進んでしまうものも多い。例えば、タレントであり、司会者であり、俳優であり、ある意味それは必然のことなのだろう。
著者もまた、相方、しずちゃんのボクシングへの傾倒があって、好むと好まざるに関わらず、ピンでも活動が増えたし、その中で才気あふれる活躍ぶりを示している。それでも、著者は、コンビにこだわり、漫才の舞台を求め続けているようだ。
「必死」「一生懸命」。この単語が似合わない、「本当の天才」が創るべきなのがお笑いの世界で、何も苦労なく頭の中に思いついたことをいうと目の前の人が笑ってくれる人たち、それが本物の芸人なんだとわかっていた。というよりも、もはや、憧れてしまっていた。
これが、著者の考える「天才」。凡人はもちろん、才人、秀才というレベルでも、なかなかたどり着かないゴールだろう。
だからこそ、著者の持っている過剰なまでの「熱さ」も「暑苦しさ」も、もがき苦しむ芸人としては、替え難いものなのだろう。
南海キャンディーズ。まずは応援したい。
※ちなみに、最近私のお気に入りのコンビは「テンダラー」です。
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