日付のない便り

日々のとりとめのない覚書 映画や読書 そして回想

詩人との邂逅

 もう半世紀近くも昔になろうか。

 

 神田の古書街の昼下がり。

 私は、その詩人と出くわしたことがある。

 詩人はしたたかに酔っていた。

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 鼻梁の高い、どこか西洋人のような風貌は、確かに写真で見覚えがあるのだが、なにせへべれけで右に左に揺れているので、今一つ判然としない。

 顔に詩人と書いてあるわけではないから、道行く人たちは厄介な泥酔者へのごく普通の扱いで、見えているのに見えていないように、誰もが無表情に見事にすり抜けては通り過ぎていく。

 詩人は、いかにもベテランの酔っぱらいらしい、長年培ってきた技術を駆使して、礼儀正しく、律儀に、誰にもぶつからず、どこにも寄りかからず、ふらふらと、ゆらゆらと、どこまでも危なっかしい足取りで歩を進めていく。

 

「ーーーーだよね」Sがボソッとつぶやいた。

「ああ」

 私は友人のSと一緒に茫然と詩人を見つめていた。いや、見とれていた。滅多に足を運ばない神田を、なぜ、二人で訪れていたのか、今となってはわからない。私もSも怠惰な大学生であったから、格別の理由があったとは思えない。だから、時折、二人の会話に登場する詩人との邂逅は、確かに小さな奇跡だった。

 

 詩人の足取りが重くなった。そこが最終の目的地であるかのように、大きな古書店の入り口で足を止め、おもむろに背筋を伸ばした。それから、こちらに目を向けた。

 確かに目があった。目があった瞬間、詩人の顔がすこし歪んだ(Sも自分と目があったと思っていた。ただし、詩人は微笑んだのだと彼は主張したが)。

 

 詩人は古書店の中を少し覗くと、おもむろに向き直り、詩人は再び歩みを始めた。それが、昼下がりの酔っぱらいのもっとも正しい歩き方だといわんばかりに、ふらふらと、ゆらゆらと、遠ざかっていった。

 その気まぐれで、自由で、昂然たる歩みを私たちは惚けたように見送っていた。

  

 詩人はどこに向かっていたのだろうか。

 

 何年かぶりに詩集を手にした。解説付きのアンソロジー。半日かけて、パラパラとページを繰った。以前に親しんだものもあれば、初めて目にするものもある。

 だが、その詩人の名前はなかった。

 

 僕は

 僕の破滅を賭けた

 僕の破滅を

 この世がしんとしずまりかえっているなかで

 僕は初心な賭博者のように

 閉じていた眼を開いたのである 『賭け』 

 

 「明日はある」

 そのとき

 僕は乱暴にほうったのだ

 かわらけよりもこわれやすい僕の運命を  『明日』

  

 ・・・ かつて、繰り返し読み、口ずさんだ詩の一節が、次々と浮かんでくる。

 

 この数年後、私は、詩などどっかにしまい込んで、中学校の教壇に立っていた。結局、教師が生涯の職となった。

 だから、『夕方の三十分』も『紙風船』も教材として授業で取り扱っているはずだが、情けないことに自分がどんな授業をしたのか、少しも覚えていない。

 詩人と出会ったのは、多分、大学3年の時だから、1975年か1976年ということになる。詩人は1980年に60歳で他界している。となると、あのとき、55、6歳だったということになる。

 私は、あのときの詩人より、もう十歳も年上なのだ。

 少し歳を取りすぎたか。「晩年」という言葉が浮かんでくる。

 Sは達者だろうか。年賀状も、ここ5、6年途絶えているが。

 

 さて、私は、私の教室で、この不思議に鮮明な記憶を生徒たちに語ったことがあったのだろうか。これも、霧の中を歩いているように判然としないのだ。

 

後記:本当に久しぶりの投稿で、記事の公開の仕方も忘れてしまいました。また、ボチボチと、記事を載せていこうかと思います。