緑したたる田舎道を自転車が二台並んで走ってくる。華やかな揃いのワンピース姿の女と眼鏡をかけた少女。どうやら親子らしい。にこやかに笑いながら、気持ちよさそうに自転車を漕いでいる後ろから、小太りの男が自転車で迫ってくる。その横には、犬も一緒だ。やがて追いついて3台の自転車が並んで進む。軽やかな明るい音楽が流れている。家族の誰もがまぶしい。
この映画の冒頭のシーンである。平凡だが、美しい日常。
だが、実際は息をつくのも憚るような切迫した状況が、その後語られていく。
映画の舞台は、ドイツ占領下のフランス西部の街。1944年、連合軍はすでにノルマンディの上陸を果たしており、連合軍の進撃に期待する雰囲気の中で、撤退を準備するドイツ軍との軋轢はおさまらない。
主人公ジュリアン(フィリップ・ノワレ)は外科医だが、ドイツ軍の横暴に手向かったことから、家族の安全に不安を感じ、自分の生まれた村に妻のクララ(ロミー・シュナイダー)と娘を疎開させる。
だが、それが裏目に出る。不安になったジュリアンは、村に向かうが、村人がことごとく殺され、クララと娘も斬殺されたことを知る。そこで、絶望に打ち震えながらも、ジュリアンは一人で復讐を決意する。
ジュリアン演じるフィリップ・ノワレは大柄だが、太めでおよそ精悍さなど持ち合わせていない。日本の俳優で言えば、小林桂樹によく似ている。走るのも、大変そうだし、十人以上いるドイツ軍に、猟銃(ショットガン?)一挺で、どうやって復讐をするつもりなのか。クララと娘の殺され方があまりに無残であっただけに、ジュリアンの怒りも悲しみも分かるのだが、果たして無謀すぎないなのかという思いが募ってくる。
ここからが良くできていて、ジュリアンの家は高台の古城であり、複雑に込み入った地下道が廻らされており、マジックミラーでメインルームが伺えたり、秘密の出入り口があったりして、ジュリアンはそれを利用して、何人ものゲリラがいるように見せかけて一人ずつ、仕留めていく。動きは、決して軽快でも機敏でもないが、知恵と気力で追い詰めていく。
その間に、回想シーンが入る。ジュリアンは妻に去られた子持ちの男。魅力的なクララに恋に落ちて告白。近づく戦争を前にプリポーズ。短いが幸せな家庭生活の日々。ごく普通のありきたりな日々だが、追想はとろけるように甘美であり、クララは輝くように美しい。
ドイツ軍の描写が、どこかありがちなところもあるが、およそ戦いとは無縁に見える男の切羽詰まった復讐劇として、仕掛けも上手く、あまり悪どくならずまとめてある。
しかし、なんといってもたびたび入る回想シーンのロミー・シュナイダーの美しさは特別なものがある。公開当時、私は大学生だった。今回、じっくり見直してみると、覚えていなところがたくさんあったが、ロミー・シュナイダーの美しさは、記憶のままだった。
ラスト・シーン、軽やかな音楽とともに冒頭のシーンが繰り返される。それが切ない余韻を残して映画は終わる。
イヴ・モンタンと共演した『夕なぎ』。ジャン・ルイ・トランティニアンと共演した『離愁』。
かつて、私の中には、確かにロミー・シュナイダーの時間があった。
✳︎フィリップ・ノワレは小林桂樹に似ていると言ったが、小林桂樹にも『仕掛人梅安』のテレビシリーズがあるから、普通のおじさんが顔色を変えた時は、返って迫力があるのかもしれない。
(ロベール・アンリコ監督 1975年)