日付のない便り

日々のとりとめのない覚書 映画や読書 そして回想

眠れないので、短編小説を読んでいたら、三つ目で眠くなった。 井伏鱒二『へんろう宿』太宰治『富嶽百景』坂口安吾『波子』を読む

 

 私は、軽い睡眠障害があって、それにも増して、右膝の状態が悪く、床についても簡単には眠れない。昨晩はそれが酷かった。そこで、モゾモゾ、起き出してポプラ社の分厚いアンソロジー『百年小説』を引っ張り出した。

 

 

 

 

 分厚くて、扱いづらいが、とにかく字が大きいので、眼鏡を必要としない。

 全51編の半分ぐらいは、読んでいるので、何にしようか迷いながら、結局3編読んで、ますます目が冴えそうになったので、再び床についた。

 床についてから、小説についていくつか考えることがあった。

 

 初めに読んだのは、井伏鱒二の「へんろう宿」(昭和15年)。

 主人公の私が4月に雑誌「オール読物」に発表。所用で、主人公の「私」は。土佐の遍路岬というところにたまたま宿泊することになる。そこは外見は漁師屋で、経営者がおらず、5人の従業員がいるだけ。80歳、60歳、50歳の3人の婆さんと、12歳と15歳の女の子。

 その夜、隣の部屋で婆さんが客に話しているのを聞く。その宿の従業員がもとはみな赤児の時に、捨て子ばかりであるという。

 

「おカネ婆さんは誰の子やね。やっぱりへんろうか」

「そりゃわかりませんよ。おカネ婆さんのその前におった婆さんも、やっぱりここな宿に泊まったお客の棄てていった嬰児(あかご)が、ここで年をとってお婆さんになりました。その前にいたおばあさんも、やっぱり同いような身の上じゃったということです。」

 

 

 この小説、どうとったらよいのか。内容は、一種、奇譚の類だろう。だが、落ち着いた筆致に奇譚の匂いはない。かといって、おばあさんから小学生まで不幸にめげず、生きていてほっとする、というようなのはお門違い。

 そこに生まれると、自分の意志に関係なく、「へんろう宿」に取り込まれて生きていく。それは、考えれば、理不尽で不気味な世界だ。それが、こうあっさりと、淡々と語られていくと、どう捉えていいのか。手強い。この小説、私の手には余る。
わずか10ページに満たない小説は、こんなふうに終わる。

 

 

その宿を出がけに戸口を見ると、柱に「遍路岬村尋常小学校児童 柑乃オシチ」という名札と「遍路岬村尋常小学校児童 柑乃オクメ」という名札が二つ仲よく並んでいた。私は戸口まで見送ってくれた極老のお婆さんは、

「どうぞ、気をつけておいでなさいませ、御機嫌よう」

 そう云って、丁寧に私にお辞儀をした。

 その宿の横手の砂地には、浜木綿が幾株も生えていた。黒い砂砂と、浜木綿の緑色との対象が格別であった。

 

 

 う~ん。井伏鱒二はやっぱり、手強い。

 

 

坂口安吾『波子』(昭和16年)太宰治『富嶽百景』(昭和14年)

 安吾が『波子』を書いたのは35歳、太宰が『富嶽百景』を書いたのは30歳。

 テーマや内容は置いておいて、読んでいてイライラしたのは、文章も小説も、思っていたより、ずっと下手くそだなということだ。『富嶽百景』は高校の教科書にも載っており、つくづくこれでと思ってしまう。

例えば、富士山を描いている部分をいくつか並べてみよう。

 十国峠から見た富士だけは、高かつた。あれは、よかつた。はじめ、雲のために、いただきが見えず、私は、その裾の勾配から判断して、たぶん、あそこあたりが、いただきであらうと、雲の一点にしるしをつけて、そのうちに、雲が切れて、見ると、ちがつた。私が、あらかじめ印しるしをつけて置いたところより、その倍も高いところに、青い頂きが、すつと見えた。おどろいた、といふよりも私は、へんにくすぐつたく、げらげら笑つた。やつてゐやがる、と思つた。人は、完全のたのもしさに接すると、まづ、だらしなくげらげら笑ふものらしい。

 

 

  

 あるいは、

 私は、部屋の硝子戸越しに、富士を見てゐた。富士は、のつそり黙つて立つてゐた。偉いなあ、と思つた。

「いいねえ。富士は、やつぱり、いいとこあるねえ。よくやつてるなあ。」富士には、かなはないと思つた。念々と動く自分の愛憎が恥づかしく、富士は、やつぱり偉い、と思つた。よくやつてる、と思つた。

「よくやつてゐますか。」新田には、私の言葉がをかしかつたらしく、聡明に笑つてゐた。

 

 

 さらに

「お客さん! 起きて見よ!」かん高い声で或る朝、茶店の外で、娘さんが絶叫したので、私は、しぶしぶ起きて、廊下へ出て見た。

 娘さんは、興奮して頬をまつかにしてゐた。だまつて空を指さした。見ると、雪。はつと思つた。富士に雪が降つたのだ。山頂が、まつしろに、光りかがやいてゐた。御坂の富士も、ばかにできないぞと思つた。

「いいね。」

 とほめてやると、娘さんは得意さうに、

「すばらしいでせう?」といい言葉使つて、「御坂の富士は、これでも、だめ?」としやがんで言つた。私が、かねがね、こんな富士は俗でだめだ、と教へてゐたので、娘さんは、内心しよげてゐたのかも知れない。

「やはり、富士は、雪が降らなければ、だめなものだ。」もつともらしい顔をして、私は、さう教へなほした。

 私は、どてら着て山を歩きまはつて、月見草の種を両の手のひらに一ぱいとつて来て、それを茶店の背戸に播まいてやつて、

「いいかい、これは僕の月見草だからね、来年また来て見るのだからね、ここへお洗濯の水なんか捨てちやいけないよ。」娘さんは、うなづいた。

 ことさらに、月見草を選んだわけは、富士には月見草がよく似合ふと、思ひ込んだ事情があつたからである。

 

 

 なんだか、さっぱりわからない。よい、とか、悪いとか、頑張っているとか、俗だとか、とあるが、俗な人間が高尚ぶって、空っぽな、感覚だけに頼った見方を偉そうに、嘯いている。厳しい言い方だが、今、この年になって読んでみるとそんなふうにしか読めない。太宰の数多いファンからすれば、失礼千万だろうが、そう思う。

 

富嶽百景・走れメロス 他八篇 (岩波文庫)

富嶽百景・走れメロス 他八篇 (岩波文庫)

  • 作者:太宰 治
  • 発売日: 1957/05/06
  • メディア: 文庫
 

 

 

 安吾の小説には、こういう表現の稚拙さや危うさはないが、小説の後半になると妙にくどくなるし、主人公波子の言動が奇矯なものになっていく。

 

  父と母、さうして、生れた家。――それは、波子にとつて、別々のものではなかつた。いつも、三つがひとつのもの。さうして、それだけが、ほかの世界と対立してゐた。さう考へたわけではなく、昔から、当然、さういふものであつた。

 然し、生れた家をでゝ、汽車の中で、すでに波子は、奇妙な現実にふと目覚めた。そこに、父はゐなかつた。たゞ、父とよばれる一人の知らない男と、母とよばれる一人の知らない女とがゐた。

 父が今、何を考へてゐるか、母は知らない。母が今、何を考へてゐるか、父は知らない。……さういふことが、なぜか、泌みるやうな切なさで、わけもなく考へられてくるのであつた。異体えたいの知れない他人同志が、今まで、何十年も、一緒にくらしてきてゐる――疑ふことのできない事実なのだ。さうして、いつか、自分といふ子供が生れ、これが又、子供とよばれる他人にすぎない。自分が今、このやうに考へてゐることすら、二人の他人は知らないではないか。……汽車は畑を走つてゐた。子供達が汽車に手をふり、叫んでゐる。波子は、突然立ち上つて、窓をあけて、蜜柑の網袋を子供達に投げてやつて「バンザイ」手をふつた。膝にのせてゐた雑誌が落ち、お茶がひつくりかへつた。

 

 

 饒舌なのは悪いことではない。波子の若さゆえの悩みだから揺れ動くのだというのは当たらない。むしろ、この文章は波子の気持ちや思考を捉え切っていないから、歯切れの悪い堂々巡りのよう文章になってしまっているのではないか。

 

『坂口安吾全集・444作品⇒1冊』

『坂口安吾全集・444作品⇒1冊』

  • 作者:坂口 安吾
  • 発売日: 2015/03/07
  • メディア: Kindle版
 

 

 

 三編とも同じ時期の作品だが、こうやってみると技量的に随分隔たりがある。安吾は昭和30年に49歳で、太宰は昭和23年に39歳で没しているから、円熟する間もなかったか。

 

 自分が、老いを感じることが多くなったせいか、無理を承知で、取り戻したくなるものがある。そんなことを考えて、なかなか寝つけなかった。