ご記憶の方も多いことだろう。ベストセラー『日本でいちばん大切にしたい会社』(坂本光司著)で紹介された日本理化学工業の敷地内にある「働く幸せの像」に刻まれた同社の会長大山泰弘の言葉の一部である。
正確には
働く幸せ
導師は人間の究極の幸せは、人に愛されること、人にほめら
れること、人の役に立つこと、人から必要とされること、の四つと云われた。
働くことによって愛以外の三つの幸せは得られるのだ。
私はその愛までも得られると思う。
どこか空々しく感じられるぐらいストレートな言葉だが、次のエピソードを知ったとき、熱く、重い言葉に変貌する。
同社はの国内シェア70%を誇るチョーク生産メーカー。
1959年(昭和34)年、東京都立青鳥養護学校(当時)の林田先生が、卒業する生徒を雇ってほしい、と会社を訪ねてくる。当時専務だった大山さんは責任持てないと断るが、先生は諦めずに熱心に足を運ぶ。
三度目の来訪を受け、ついに大山会長は折れた。先生のこんな言葉が胸に刺さったからだ。
「もちろん、たくさんお話ししましたし、彼らの境遇も聞きました。それでも私は、厄介だな、精神薄弱の子に仕事なんかできるのか、とまったく薄情だった。けれど、先生の二つの言葉が胸を突いたのです。一つは『卒業後、就職先がないと親元を離れ、一生施設で暮らすことになります』ということ。そしてもう一つは、『働くという体験をしないまま、生涯を終えることになるのです』ということ。何度も断った私に、先生は『就職は諦めましたが、せめて仕事の体験だけでもさせていただけないでしょうか。私はこの子たちに、一度でいいから働くというのはどういうことか、経験させてあげたいのです」とおっしゃったのです。」
心動かされた大山さんは、2週間の期限を設け、15歳の少女2名を預かった。
この二人の少女が先駆者となった。
現在の理化学工業は全従業員の7割が障がい者である。
日本一優しい会社といわれている。
かつて『日本でいちばん大切にしたい会社』(坂本光司著)で紹介されたとき、日本理化学工業に感銘を受け、「究極の幸せ」の言葉は、しばらく私をとらえて離さなかった。
本書は、当事者である経営者や障がい者である社員、その家族に克明な取材とインタビューを行い、この側から見れば稀有な、彼らにとってはごく普通だという会社の過去と現在を描いたドキュメンタリーである。
誠実な記述で丹念に、過不足なくまとめられた好著で、一気に読了した。
そこで、ハタ、と考えた。
このコロナ の時代を、この尊敬する会社と愛すべき社員たちはどのように切り抜けるのだろう。
この数ヶ月間、全国の学校で黒板を走るチョークの音が消えた。そして、その途絶えた音を、元の通りにするのは、かなり難しい。
コンピュータの端末が、児童生徒一人一人に配られ、デジタル教科書や電子黒板がどこの学校のどんな教室でも活用されるようになるかもしれない。
世界的な不況というようなことになれば、輸出も厳しくなるであろう。
コロナ を契機に、一挙に様変わりする可能性は大いにある。
そして、今のところコロナの時代は弱い者に容赦ない。
理化学工業だけではない。
まっとうに、真剣に、誠実に仕事に取り組んできたすべての会社と従業員が、当然の報酬として、究極の幸せを、自分の胸に留めておけることを、切にねがうのだが。