グロリアは拳銃を撃ちまくる
中年女が銃を撃ちまくる映画というのは、どのくらいあるのだろう。
『ニキータ』のアンヌ・バリロー まだ、若かった?
『ターミネーター 2』のリンダ・ハミルトン 前作との違いにびっくり。
『RED』のヘレン・ミレン なんとも華麗で、不敵だった。
そして『グロリア』のジーナ・ローランズ 以前に見ているのだが、記憶以上に過激。まさにハードボイルド!痺れた。
実は、今回『グロリア』を二日がかりでみることになった。初めはリメーク版の『グロリア』(1999年 シドニー・ルメット監督)を見ていた。途中で、どうも違和感がある。はて、なんだろう。見終わってから気づいた。
シャロン・ストーンのグロリアは拳銃を撃たない。
二人の「グロリア」
『グロリア』(1980年 ジョン・カサヴェテス監督)
プエルトリコ人家族がサウス・ブロンクスのアパートでマフィアに襲われる。家族は主人ジャックは組織の裏帳簿を持っており、FBIと接触したことでマフィアに命を狙われたのだ。同じフロアに住むグロリア(ジーナ・ローランズ)は、母親に頼まれて、6歳の息子フィルを預かる。グロリアの部屋で、二人は両親、一家が惨殺される時間を部屋で過ごし、そこから子ども連れの逃亡劇がはじまる。
この時のグロリアの部屋をみると、彼女の今が想像される。思い出が並べられた多くの写真立て、お気に入りの品々、猫。組織の中で、短く太く生きてきた末の、ささやかながら約束された晩年の生活。
グロリアは、おそらく50歳前後。人生に一区切りつけたはずだった。
それが望んだわけではないが、全てを打ち捨てて、彼女はフィルとの逃亡を図る。
太ったからもう速く走れないといいながら、無造作にマフィアに銃を向ける。それまでの過酷な人生が言葉にも、行動にも透けて見えてくる。
『グロリア』(1999年 シドニー・ルメット監督)
もう一人のヒロイン、シャロン・ストーンの「グロリア」は刑務所から出所するところから、映画ははじまる。3年の刑期を終えて、ニューヨークへ帰るが、かつての仲間に裏切られてしまう。彼女は組織に監禁されていた少年ニッキーを連れて逃走を図る。ニッキーの父親は会計士だったが、組織の秘密を収めたフロッピーを持ち出したために、家族とともに殺されていた。
シャロン・ストーンのグロリアは40歳前後。彼女は、自分の人生に区切りをつけてはいない。金も欲しいし、家も欲しい。身体も心もまだまだ色気十分なのだ。自分の願う揺るぎない「これから」を求めて動き回る。子供を連れての逃走も、子どものためでもあり、自分のためにもなる。そこがどこかフワフワした感じを生む。。逃げる時も緊張感が足りない。
グロリア=ジーナ・ローランズ
監督ジョン・カサヴェテスは細かい部分を外さない。細部を丁寧に重ね合わせることで、グロリアを描いていく。
モーテルで朝飯を作るグロリア。目玉焼きがうまく作れず、癇癪を起こす。これまで、誰かのために朝飯を作ったことがないのだ。
かつての生活を垣間見せる真っ赤なナイトガウン(和風のユカタ?)。
年季の入った煙草を吸うシーン。ぎこちない子どもとの会話。「ミルクと縁のなかった女」(」グロリアのセリフ)の戸惑いが伝わってくる。
そして、銃を撃つグロリア。
ジーナ・ローランズのグロリアは、追ってきた旧知のマフィアにいきなり銃をぶっ放す。銃を撃つなら、相手に当てるのが当たり前。それが彼女が生きてきた世界。説得力がある。
フィルがホテルで、グロリアは僕のママで友達で家族でガールフレンドだ、というと、タバコを吸いながら、ポツンと家族がいいな、とつぶやく。
新しい生活を獲得するためのグロリアの覚悟が伝わってくるシーンだ。
1999年版の『グロリア』も決して悪い出来ではない。シャロン・ストーンも魅力てだ。十分楽しめる映画なのだが、1980年版を見てしまうと色褪せてしまう。
印象的な冒頭のシーン。ニューヨークの街の描き方。駅。墓場。そして、胸を塞ぐような纏綿たる音楽。ラストシーンの晴れやかさ。
ジーナ・ローランズのどこまでもタフな女「グロリア」は忘れがたい。
なお、監督ジョン・カサヴェテスとジーナ・ローランズは夫婦。