日付のない便り

日々のとりとめのない覚書 映画や読書 そして回想

良きこと、悪しきこと  今日という一日      

 良きことと悪しきことは、大方折り重なるようにやってくる。昔からそうだった。ただ、昔と違うのは歳を取ってからは良きことと悪しきことのサイズが釣り合わなくなったことだ。

 

 今日も朝から重なった。ちょっとした救いは、良きことの方が早かったことだ。

 ささやかな出来事のささかな喜び。

 直ぐに、それには見合わない重荷が届いた。 

 ああ、良きことはこんなにささやかなのに、悪しきことはズッシリ重い。

 そうではなくて、歳を取ったことで、本来はさほどの重量がないものも支えきれなくなったのか。

 

 今日届けられた悪しきことは、今、ここで伝えるのははばかる。まだ整理がつかないし、どう書いたらよいかわからない。

 だから、今日一日の証として、ささやかながら届けられた良きことについて記すとしよう。

 

 前から考えていた正宗白鳥全集を購入した。家も狭いし、もうこの年でそんなボリュームのあるものを買っても、結局書棚を埋める飾りになるだけだろう、と云われそうで(直接、云われてはいないが)、躊躇われたのだが、日本の古本屋のサイトを見てみると、新潮社版(全13巻、昭和40年初版)が1万円を切っているものがある。

 正宗白鳥の全集は、福武書店版(全30巻 昭和61年初版)もあって、こちらが完全版なのだろうが、別に、精緻な研究をするわけでもなく、老人が徒然に読むための購入なので、新潮社版でも贅沢というものであろう。

 一つ心配なのは、年数を経ているので、劣化が進んではいないかということだ。

 それでも、思い切ってネットで注文すると、なんと二日後に届いた。

 直ぐに、梱包を解いてみる。驚いた。歳は経ているが、ほぼ、新品と云ってもよいほど。どの巻を開いても、読んだ形跡がない。まっさらの感じ。月報も全て整っているし、箱も潰れているところや汚れやシミも全くない。

 日本の古本屋は、たまに利用するのだが、どこに頼んでも、丁寧な梱包と保存状態の良さに感心させられることが多い。本を大切にする人の日々の営みが、形になって伝わってくる。

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www.kosho.or.jp

 白鳥は、評論や文芸時評は多少は読んでいるが、小説や戯曲に関していえば私はあまりよい読者ではない。その、素っ気ない筆致が、以前は読みづらかった。ここ10年ほど、ポツポツと読み始めた。小説とも随筆とも取れる晩年の作品には、いくつか感銘を受けた記憶があった。そういうものも含めて、少しまとめて読みたいという気持ちがあっての全集購入である。まとめて読もうと思えば、最近はこの大作家でも、廉価の文庫本などでは、そうは読めないからだ。

 

 全集の構成は

  第1巻から第4巻が小説、

  第5巻が戯曲・ 劇評

  第6巻から第9巻が評論

  第10巻から第11巻が随筆

  第12巻が回想

  第13巻が雑纂

 

 小説家であり、劇作家であり、文芸評論家であった、この作家のフィールドは、雑然としているが広大で、下手な分類など受け付けない。

 随筆といいながら、評論と言った方がふさわしいものもあるし、漠然と回想と言っても『自然主義盛衰史』のような著作もここに組み入れられているからややこしい。

 今手元に第4巻、第6巻の2冊を箱から出してパラパラと眺めている。

 第6巻は評論1。作家論、作品論が中心で、巻頭の『鏡花の註文帳を評す』が明治34年4月22日 讀賣新聞掲載。巻末の『才気ある女性作家の群れ』が昭和37年5月 「婦人公論」掲載。なんと息の長い作家であることか。    

 第4巻は小説4。解題を見ると「昭和16年以降の晩年の作品を収めた」とある。白鳥が亡くなったのが昭和37年だから、かなり長い晩年ということになる。

 巻末は『リー兄さん』。『今年の春』『今年の初夏』『今年の秋』と連なる肉親の死を見つめる身辺雑記とも随筆とも小説とも取れる作品。さらに、年を経ている今、改めて読んでみようと思っている。

 

 この全集、古いものの多くがそうであるように、活字が小さいという難がある。拡大鏡やハズキルーぺを使いながらの少し手間のかかる読書になろうが、それはしかたがない。どうせ、もう、そんなに速くは読めないのだ。 

 

 良きことについてはこれでしまい。さて、悪しきことはどうしたものだか。思い悩んでいるうちに、今日も一日が終わる、