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「受け師の道 百折不撓の棋士・木村一基」樋口 薫著(東京新聞)を読む                                                             

 将棋の木村一基王位の評伝である。評伝と言っても、インタビューを元にしたもので、題名ほどテンションは高くない。そもそも、木村王位にはそんなに大上段から振りかぶった物言いが似合う人物ではない。トップ棋士の一人だが、どこか飄々とした風情を持つベテラン棋士だ。

 

 木村王位には異名が多い。「中年の星」「「千駄ヶ谷の受け師」「将棋の強いおじさん」。別に揶揄しているわけではない。敬意と愛情と期待を込めたファンの声がトップ棋士からぬ、不思議なニックネームにつながっている。

 昨年の木村の王位奪取は、ファンの間で話題を読んだ。

 プロ入りから22年3ヶ月、46歳3ヶ月、挑戦回数7回、全て記録づくめだった。

 

 異能の人である。といっても、棋士は小学校2、3年でアマチュア4、5段に簡単になってしまう人の集団だから、誰もが異能の人といってよいのだが、その中でもさらに、異能な人がトップクラスに駆け上がる。

 では、木村の異能さはどこにあるか。

 将棋の棋風は、「受け将棋」ということだが、これは私のように、棋譜を見ると頭が痛くなる程度の理解力では、本質的なところはわからない。だが、「受け師」の異名がつくことからその尋常ではない棋風がわかる。

  

 「受け師」と称される木村だが、「防御を固めるだけの将棋でない」と木村の盟友野月八段は説明する。

 

 将棋は相手玉を打ち取れば勝ちだが「玉でなく、相手の攻め駒を攻める感覚」という。敵が振りかざす武器を狙い、たたき折ってしまう「攻める受け」が木村将棋の真髄なのだ。

「リスクの高い指し方。ほかの棋士はまねができない。というか、したがらない」と野月は評する。多くの棋士が得意とする攻め将棋と違い、受け将棋は一つのミスが敗北に直結する。「何度も痛い目に遭いながら、徐々に身につけて行ったんだと思います」。

 

 

 木村が奨励会に入会したのは小学校6年生。プロ入りしたのが23歳9ヶ月。苦しみ抜いてのプロ入りだった。このあたりの苦闘については、野月八段、行方九段の証言を混ぜながら、丁寧に語られている。

 

 プロ入り後は、弾けたように活躍する。順調に昇段を重ね、1998年度に新人賞、翌年には全棋士中の最高勝率をあげた。

 そして、ついにタイトル戦に挑む。だが、タイトルの壁は厚かった。

 

2005年 竜王戦七番勝負 渡辺明竜王0-4 木村一基七段

 

2007年、竜王ランキング戦1組で優勝。さらに挑戦者決定三番勝負に進出するも、佐藤康光に1-2で敗れる。

 

2008年、自身4度目の竜王挑戦者決定三番勝負で、7年ぶりに羽生と挑戦権を争うが敗退。

2008年 王座戦五番勝負 羽生善治王座 0-3 木村一基八段

 

2009年 棋聖戦五番勝負 羽生善治棋聖 3-2 木村一基八段

 

     王位戦七番勝負 深浦康市王位 4-3木村一基八段

     ※木村八段3連勝のあと、4連敗

 

2014年 王位戦七番勝負 羽生善治王位 4-2(1持将棋) 木村八段  

2016年、王位戦七番勝負 羽生善治王位 4-3 木村一基八段

   ※ 第5局の時点で木村八段の3勝2敗も、その後連敗。

2019年、王位戦七番勝負 豊島将之王位 3-4 木村一基九段

 

 これまでの初タイトル有獲得記録を8歳以上更新する初タイトル獲得の最年長記録となった。

 なんという遅咲きか。

 粘りとか、不屈とか、言葉でいうのは簡単だが、あまりに苦しい敗戦を幾度も経験して、年齢を自覚しながらの初タイトル。

 本書では、ファンの絶大な応援の様子が述べられているが、これも異例だろう。

 この人の「異能」は、その徹底した「律儀さ」「誠実さ」にあるのだと思う。一度、絆や縁を感じれば、期限や限度を超えて、まるでそれが当たり前のように、続けていく。これは、覚悟があっても、現実には難しい。しかも、誰にも媚びることなく、トップ棋士としての矜恃を持って、時に厳しく、時に暖かく、様々な人たちとつながりを持ち続けることができるのは、将棋とは別に、稀有の才能であろう。

 だから、木村ファンは熱い。

 

 将棋界は、木村より3つ年上の常勝将軍、羽生善治九段が、第一線に留まっているとはいえ、全てのタイトルを失い、豊島将之名人・竜王(30歳)、渡辺棋王・棋聖・王将(35歳)、永瀬拓矢王座・叡王(27歳)の3強に、若き天才藤井聡太が足早に追いすがっている。藤井聡太七段は、現在、棋聖戦で2連勝し、渡辺棋聖を追い詰めた。

 そして、本書でも淡い予感が書かれているが、ドラマは現実となり、ようやく手にした木村王位のタイトルに、藤井聡太七段が挑戦する七番勝負が、明日(1日)から始まる。

 なんともできすぎたシナリオのような激突。正直、どちらを応援したらよいか迷うところだ。木村王位はインタビューで、「藤井さんは、もはや子どもではない」といって、最大限の迎撃体制で待ち受けている。

 テレビで見ていて、本当の強さが判るような棋力が、私にはないのだが、それでも、血湧き肉躍る、のだ。

 

 本書は、私のような観ることが中心の将棋ファンにとっては実に読みやすい。棋譜と棋譜を使った説明を意図的に避けているからだ。しかも、インタビューそのものも掲載されており、木村王位の肉声を味わうことができる。棋譜は巻末にまとめてある。

 コアなファンには物足りないかもしれないが、木村王位と将棋の世界、棋士の世界を深く知ることができる好著と言える。

百折不撓 木村一基実戦集

 

 

藤井聡太 強さの本質

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  • 発売日: 2020/05/21
  • メディア: Kindle版